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  • 《阪神・淡路大震災27年》「人を救うのは、人しかいない」激甚被災地、神戸・長田警察署 ベテラン警察官が語り部に

ライブドアニュースドアふみ

 当時、兵庫県警の警察官は、負傷した家族のことや、倒壊した自宅にかまうことなく職場に駆け付け、不眠不休で救出、交通整理などの活動に当たった。

 阪神・淡路大震災発生から27年経ち、世代交代が急速に進む中、兵庫県警の警察官の約75%が「震災を知らない」世代となった。震災で得た貴重な経験や教訓の風化が懸念される。 こうした中、長田警察署で13日、現場で救出・救助活動に従事した警察官が語り部となり、20〜30代の警察官にその経験を語る研修会が開かれ、4人のベテラン警察官が教訓を伝えた。

 土佐享弘警部補(地域第一課)は当時機動隊員。発災2日目、甚大な被害を受けた長田区での救出活動を命じられた。機動隊としての経験が長いが、震災は「警察人生で最も大きな出来事だった」と振り返った。そして「悔しい。助けられなくてごめんなさい。もっと助けることができたのに」と多くの後輩を前に涙を浮かべ、絶句した。 会場が張り詰めた空気になったのは「自分の手をにぎりしめ、冷たくなって亡くなられた方がいた」と話した時だ。助けたくても助けられない現場、がれきの中に埋もれた住民を救出することができず、遺族に遺体を引き渡すのが精一杯だったことを今でも悔やんでいる。

 その後、2011年の東日本大震災でも、宮城県・大川地区へ応援に駆け付けた。住民が言う。「ここ、私の家だったんです。全部流されてしまったけど」。土佐さんは背中を向けて泣いたという。27年前、焼け野原の長田の街でも聞いた言葉を思い出す。「ここ、私の家でした。残ったのは私だけですけど」。遺品や遺骨を一緒に探したことが忘れられない。

 四間(しけん)久雄警部補(刑事第二課)は宝塚署で検視状況の確認などに当たった。被災者の救出・救助活動とともに、屋根瓦を修理するとうたう悪徳訪問販売や解体家屋のがれきの不法投棄などの取り締り、避難所での防犯対策、さらに当時社会問題化していたオウム真理教に関連する行方不明者の捜索も並行していた。どれもが警察として、有事の際でも必要な業務だ。「戦後の安心・安全神話が崩れただけでなく、地下鉄サリン事件とともに忘れられない、激動の1995年だった」と振り返る。

 震災から約1年が経ち、四間さんは立ちくらみや頻脈に襲われる。自律神経に支障をきたすまで、張り詰めた勤務が続いたという。「日ごろの備えや準備も大切。しかし、有事の際には家族を置いてでも業務に全うしなければならないこともある」と語る。今春、定年退職する四間さんは、後輩たちへこうした心構えを説いた。

 山下克久巡査部長(地域第一課)は機動隊員として1月17日の朝を迎えた。経験したことのない”タテ揺れ”の状況に「未曽有の災害警備の始まりだ」と確信したという。阪神・淡路大震災後、兵庫県警のみならず、全国の警察に災害警備活動を行う「広域緊急援助隊」が結成され、その第1期生となった。 9年後の2004年、新潟中越地震が起きた。「ようやく恩返しができる」。そして痛感したことが「人は1人では生きて行けない。全国の警察から派遣された応援のありがたさ、これが心強くもあった。人とのつながり、助け合いがあってこそ生きてゆける」。山下さんは、これを教訓とした。

《阪神・淡路大震災27年》「人を救うのは、人しかいない」激甚被災地、神戸・長田警察署 ベテラン警察官が語り部に

 首藤 茂警部補(交通課)は、宝塚市内での交番勤務だった。まずは担当地域の実態把握をして上司に報告を、と交番を出たが、制服姿の警察官、住民に助けを求められると放っておくわけにいかない。バールを持って、倒壊家屋に穴をあけるなど救出活動を続けていると、余震が起き、その穴にはまってしまった。その家屋の1階寝室に、独り暮らしの高齢女性が1人、取り残されていた。救出しようとすると「これで、先立たれた夫のもとへ行けると思ったのに」と責められたことが忘れられないという。しかし、「ほとんどの場面で助けたくても助けられないことばかりだった。遺体を遺族に引き渡すことしかできなかったのに、遺族に『ありがとうございました』と感謝の言葉をかけてもらったことが忘れられない」と振り返る。 「有事の時ほど、アナログになる」。27年前の震災、携帯電話の普及率も低かった。思うように連絡が取れない。無線機は電池が切れる。途方に暮れることもあった。今でも、思うようにスマートフォンの充電ができないし、燃料は切れる。そうなると、自分の手と装備する機材で何とかしなければならないのだと忠告した。

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 阪神・淡路大震災で長田警察署として遺体の検死を行ったのは760体(1995年1月17日〜3月31日)。この2か月あまりで、通年の約5倍の数だったことを考えると、その被害の甚大さがうかがえる。

 山中博幸署長は当時、建物が倒壊した兵庫署(神戸市兵庫区)で検死班の応援に当たった。通常ならば検死後、医師立ち合いのもと「検案書」と呼ばれる死亡診断書の作成が必要なのだが、医師の数が足らず、しばらく遺体を放置せざるを得なかったことが辛かったと振り返る。 そして、焼死した被災者の遺骨が、住所と名前だけが書かれたメモを貼ったブリキ製のバケツに入れられて運ばれてきたことが衝撃的で、「こうした災害では、普段ではありえない事態が生じることを忘れてはならない」と力を込めた。

 「長田警察署の震災100日」という冊子に「270粒の”にぎり飯”」という当時の署長による巻頭言がある。270人の署員(当時)が270粒のにぎり飯のように、心を1つにして、一筋の光明を求めて…と記されている。おにぎりは、米ひと粒ひと粒が見えていて、固まっている。ひとりひとりの署員が存在感を示していたことを表わしている。

 激甚被災地の警察署。庁舎こそは倒壊を免れたが、暗闇の中、神戸市長田区上空だけは炎で明るく、夜が明けると、今度は黒煙が舞う。住民は、あの光景がいまだに脳裏に焼き付いたままだ。

 昨年は新型コロナウイルス感染防止のため、署内で大人数が一堂に会する研修はすべて中止に。震災に関する講義はなく、レジュメを渡すのみだった。今年もどうするか署内で議論はあったが、これだけの被害があった長田の街を守る警察署だからこそ、しっかりと語り継ぐ機会が必要ではないかとの思いで実現した。語り部それぞれが10分ずつ思いをつづり、コンパクトにわかりやすい講義形式にと工夫を凝らした。

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 阪神・淡路大震災を知らない世代の警察官にとって、多くの課題を発見できた講義だった。

 山本春希巡査(20)は岡山県出身。学生時代、2018年の西日本豪雨で水害に遭った真備町の復興支援に携わった。「交番に勤務する者として、災害が起きた時と同様、災害が起きる前から高齢者・幼い子どもが住む家庭の把握や、管内の危険箇所を知ることこそが、救助への第一歩だと思う。やはり、人は人しか救えない」と話した。

 福田雅之巡査(28)は兵庫県尼崎市出身。当時1歳だったこともあり、震災を覚えていない。「小学校時代から震災について考える授業などで見聞きしたこととは違い、警察官として、自分ならどう行動するかを考えさせられた」と気を引き締めた。